ADHD,家事

ひかりの日記

プライベートな日々つづります。さるさる日記→ココログ→はてなのこのブログ。

ADHDの父と娘のシルバー生活

「片付けられない女たち」の本がベストセラーになった頃、これは私の事を書いた本だわ!と思った。

でも世の精神科は大学病院でさえ大人の発達障害には認知度が低く、当時「慢性疲労症候群」という病名で大学病院のトップ教授に受診していた私は、その主治医にそのことを相談してみたけれど、教授は、「それを調べたければそれを専門にしている病院で診てもらってください」と軽くあしらい、私にパキシルをどんどん増量投与する。
専門にしている病院に電話してみるも、予約は5年先と言われるし・・・
それは15年くらい前のことだっただろうか。

そして、大学病院の通院に疲れ果てた私は最寄り駅にメンタルクリニックの看板を見つけ、パキシル出してもらうんだったら別に大学病院でなくてもいいのではないかと相談したら、こころよく受け入れてくださり今の病院に通院するのに至るんだけど。

途中で、7年くらい前かな?当時の主治医に「あれ?ADHD?」って聞かれて衝撃を受けた。
私はてっきり、もう自分が「ADHD」だと思うことは、自分の不出来に勝手に病名を付けて、言い逃れをしようとしているただのズルいだけのダメ人間だと思っていたから救われたと思った。

そして、今年から大人にコンサータの処方が認可され、私の主治医も認定医になるという、昔では考えられない発達障害の大人たちへの朗報なのだ。
私にコンサータがどう作用するか、有効かさえもまだ未知なのだけれど。
また、来年からは自分のADHDに対して新しい試みも考えている。

さて本題。

私のADHDは父からの遺伝であることは私から見たら火を見るように明らか。
父は年老いて、今まで自分のADHD的弱点をカバーしていた慎重で几帳面な性格も、能力が衰えて、どんどんボロボロが出ているのだ。
これは、ただのボケとちょっと違うと、同じADHDでやはり衰えてきている私は思う。
本人は自分が制御できなくなっていることをわかっているのに出来なくてものすごく不安なのだよ、前後わからなくなってしまうボケとは全く違うと思う。
素人だけど、そう思う。

だから、これからは、父が把握しやすいように、簡素に、安心できるようにいろいろ工夫していってみようと思っている。
まずはやらなきゃいけない手立ては打ち始めている。

それらについては、これからまたぼちぼち書いて行けたらと思う。